2011年2月20日日曜日

銀塩文化の行方は…廃業相次ぐ老舗写真店/横浜

カメラ販売やフィルム現像を手がけてきた老舗写真店の廃業が、横浜市内で相次いでいる。デジタルカメラの普及で銀塩写真の需要が激減しているためだ。中区では輸入カメラ専門店の千曲商会が3月限りで店をたたみ、今月末には「ろまんカメラ」が看板を下ろす。足かけ3世紀にわたり「写真文化」を築き上げてきたフィルムの今後は―。

◆港の歴史刻む

 「今や、フィルムの入れ方すら知らない若い人もいるんですよね」。ろまんカメラの社長、金丸二郎さん(71)は苦笑する。
 官庁街とあって、以前は日に20?30本の現像を受け付けたが、この7、8年で数本程度に。デジタル写真のプリントも行うものの、銀塩に比べ客単価は3分の1ほどになり、現像機の維持費で精いっぱいだという。

 横浜?野毛にろまんが店を開いたのは、戦後間もない1946年の末。最盛期は十数人の社員を擁し、小売りから卒業アルバム、結婚式の撮影まで手広くこなした。金丸さんは56年に入社し、現在地の中区太田町に本店を移した70年から社長を務める。

 当時の主要な業務の一つに、横浜港で荷揚げされた貨物の撮影があった。船会社や港運業者が、荷主や保険会社に破損の有無を報告するために用いたという。「野毛から本牧あたりまで、自転車でよく出かけました」と金丸さん。ミナトの歴史の一端を記録してきたわけだ。

◆全国的に苦境

 「もうDP(現像、焼き付け)だけでは飯が食えないんですよ」。ろまんでカメラマンとして働き、その後独立した渡辺フオトアート(横浜市保土ケ谷区)店主の渡辺武さんは、寂しげに話す。

 県カメラ商協同組合の副理事長も務めたが、実はその組織自体、2年前に解散してしまった。フィルム需要の低落と経営者の高齢化が主な理由で、95年に県内で319あった加盟店は、解散時には100程度に減ったという。

 銀塩写真を取り巻く状況は、全国規模で見ても厳しい。メーカーや小売店などでつくる日本カラーラボ協会(東京都千代田区)によると、ピーク時の97年に年間4億8千万本を数えたフィルム出荷量は2008年、5500万本にまで激減。「一にも二にもデジタルの影響」としている。

◆代え難い魅力

 縮小し続ける写真フィルムの市場。とはいえ、深みのある色彩や細密な描写力には、代え難い魅力がある。化粧品の広告写真などでは、今なお重用されている。
 本紙日曜版に「かながわ鉄道遠足」を連載している大磯町在住のカメラマン、杉崎行恭さんは「仕事の9割方がデジタルになったが、雑誌の見開きで使うにはポジ(スライド用)フィルムが欠かせない。印刷したとき、色調の再現性や迫力が全然違う」と話す。

 写真フィルム大手の富士フイルム(工場?南足柄市)は06年に「写真文化を守り育てることが使命」との“決意表明”を発表。「表現力や長期保存性はデジタルに勝る」とし、銀塩を「写真の原点」と位置づけた。品種の統廃合など合理化を進めつつも、根強い需要に応えていくという。



 ところで、ろまんカメラの店名の由来は…。金丸さんは「ひらがなの方がモダンな感じがするので」と教えてくれた。では、そもそもなぜ「ろまん」と名付けたのだろう。「写真とは夢です。ロマンがあるんですよ」 

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引用元:エミルクロニクル(Econline) 総合サイト

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